月に2回、中国語の会話教室に通い始めました。業務に必要な勉強も十分に追いついていない状況ではあるのですが、あえて違うところに頭を使う時間をつくることで、仕事にも良い刺激になるのでは?と思ったからです。「どうして中国語の会話教室に?」というと、正直なところ、何語でもよかったのです。
仕事柄、ネパール語やベトナム語、タガログ語、ウズベク語など、覚えたい言語はたくさんあります。でも、ある日たまたま図書館で目に入った1枚のチラシ――「北京出身の中国人女性講師による、初中級レベルの会話教室」――このフレーズに心が動かされました。
自分の中国語レベルにちょうど合いそうで、何より教室が徒歩圏内にあるという手軽さが、始めてみようと思えた大きな理由です。
語学を「先生から習う」のは、実に15年ぶりのこと。
中国で働いていた頃、勤務先が週1回、外国人社員向けに用意してくれていた中国語講座(水曜・仕事終わりの夜)に参加していました。その時間は、社内の他部署・他国籍の同僚と交流できる、貴重な機会でもありました。
また、社外では近所の中国語スクールにも通っていて、ウイグル出身の太陽のように明るい先生には、家電の買い替えの際にお店に同行してもらうなど、授業以外でもたくさん助けてもらったことを思い出します。
久しぶりの教室は、やはり少し緊張しました。でも、得意なことも世代も生活環境も異なる方たちと会話することで、自分の中にはなかった表現や単語に出会えることに、大きな喜びを感じました。
たとえば先日。
私は自宅の網戸に衝突してしまい(網戸が閉じていることが見た目ではわからなかった)、設置したばかりだった網戸は破損。眼鏡は曲がり、全身がむち打ちのような状態で鎮痛剤が手放せない……。その出来事を教室でお話すると、「ぶつかる」は「撞」であることや、「撞」を他の場面で用いる例、また、私が衝突した網戸は窓にあるものではなく、玄関なので「纱窗」よりも「纱门」が適切であることなど、ひとつの出来事から、他の方の経験に基づいた語彙や表現が次々と広がっていきました。
事故後の対応や体の痛みについても、先生や受講生の方々が温かく気遣ってくださり、言葉を学ぶだけではない、人の温かさに触れる時間が、痛む身体と心に沁みて、とても有難く感じました。
こうした思わぬ日常と語学が結びつく瞬間や、他の受講生の方々とのやりとりを通じて語彙が広がっていく体験は、アプリや個人レッスンでは得がたいものです。
自分にはない経験に基づく表現をエピソードとともに学び、インプットとアウトプットが自然にでき、それがひとつの体験として自分に記憶されること。これは、対面で複数人が集まる教室だからこその魅力だと感じています。そして今、語学だけでなく思考の幅も広がっているのを実感しています。
2025.07.19